街のひとつの歩き方(8)

これはかなり無理な帰納的推論だが、地下鉄以外の乗り物の”相客”は親切なように思う。アッピア街道をカタコンベまで2時間位歩き、疲れたので帰りはバスにしようとバスストップに並んだ。皆が切符を持っていることに気付いた。後ろの女性に切符のことを尋ねた。「これはローマのテルミニ駅で買ったものだ。回数券なのであげる」と切符を二枚くれた。ポルトガルからの人だった。香港でも、二階建てトラムに乗って、地図を見ていると、香港の男性が「どこへ行きたいのだ」と尋ねてきた。地図で示すと「次の停車場で降りて、右へ渡るとその建物がある。渡る時に車に気をつけて」と教えてくれた。渡った後、後ろを振り返ると、その男性が見守ってくれているように見えた。

街のひとつの歩き方(7)

パレルモからローカル線でアグリジェントに着いたときの話だ。一緒に降りたはずの他の観光客はいつのまにかいなくなった。駅前の広場は閑散としている。通りを少し歩き、ひなびた雰囲気のバーに入った。薄暗い天井ではカサブランカがゆっくり回っている。警察官が1人昼食をとっていた。そこで、白ワインを飲み、軽い食事をした。それにしても,出しの効いたシーフードのパスタだった。駅前に戻る。タクシーはなく、市内バスを待つことにした。日差しが強く、妻と娘は広場の端の少し離れた木陰にいる。私は本数の少ないバスが止まらないことを心配し、一人で暑さに耐え、バスストップの前に立っていた。数人の少年が妻と娘のいる木陰に加わった。そのうち少年の1人が私の方に近づいて来た。そして、「切符を持っているか」という。このしがない東洋人から切符を奪うつもりかと身構えた。心の中でホールドアップをしながら、「持っていない」と事実を答えた。すると、「バスの切符は、駅の売店であらかじめ買っておかなければいけない」という。親切な少年だったのだ。駅に戻り、バスの切符を買った。

街のひとつの歩き方(6)

翌日の夕食から何回かカルチョフィを試みた。ローマ風は煮しめたもの、ユダヤ風は揚げたもの。得体の知れない食べ物だ。ローマでこの季節一番美味しい料理だという感覚を得るため、ローマ市内の旧ゲットー地区にあるユダヤ人のレストラン[1]にも行った。町にあるトラットリアの軒先にアーティチョークが植えてある。つぼみの季節に本格的なユダヤ風とローマ風を出してくれた。日本の竹の子料理に近い。いまだ、外側はどこまで食べるべきなのかわからない。でも慣れてくると案外美味しい。ユダヤ風のほうが香ばしい。

 

シチリア人はひとなつっこい。夏のパレルモを歩いている時に、男性が話しかけてきた。衣服関係の仕事をして、今は引退暮らし。仕事で日本に行ったこともあるという。パレルモの美しさ、人の優しいこと、ワイン、アランチーニ[2]、デザートのカンノーロ[3]と宣伝を十二分にした後、お別れにと妻と娘の頬に随分長く抱擁した。長話と女性への抱擁はシチリア男の健康長寿法に違いない。

 

[1] Giggetto al Portico d'Ottavia

[2] ライスコロッケ

[3] カンノーロは映画ゴッドファーザーで、裏切り者の殺害の後、一緒にいた仲間に「銃は置いていけ。(一息して)カンノーリは持ってきてくれ。 (Leave the gun。 Take the cannoli。) 」というセリフで有名になった。ゴッドファーザー PART IIIでは、劇場で敵方のドンを毒殺するに使われているウィキペディア

街のひとつの歩き方(5)

広場を囲んで観光客をあてにしたレストランが並ぶ。向かい側にあるレストラン[1]ではちょっと風変わりな思い出がある。ある夜、妻と広場に向かう外のテーブルで夕食をとっていた。席はいつもどおり、妻は広場向き、私は後向きだ。隣の席に二人の男が広場向きに並んで座った。ホームアローンという映画の泥棒二人組をシリアスにしたようなタイプ。丸顔の中肉中背の男と顔が少し長い背の高い男。3月下旬。2人とも黒っぽい革のジャンパー。前者は老眼なのかモダンなちょっと派手なメガネを時々かける。後者はやや目つきが鋭い。お店の主人らしい人が親しげに注文をとる。「いつものあれとあれ」という感じだ。間もなく、広場から1人の男が来て、新聞紙に包んだ何かを渡しながら挨拶をする。日本人の感覚であれば、新聞紙の中身は当然“焼き芋”だ。また別の男が来て、何かを渡し挨拶をする。そのようなことが繰り返される。よほどのVIPなのだろう。そのうちに、見たことのない植物料理を運んできた。あまり見られているのが気になったのか丸顔のメガネの男が妻の方を向いて、愛想よく話しかけてきた。「日本から来たのか?」「この季節、ローマで一番美味しい料理を教えてあげよう」「カルチョフィだ」わからないでいるとスペルを教えてくれた。「ローマ風とユダヤ風がある」テーブルの上の植物料理を示し、「これがユダヤ風だ」という。アーティチョークという植物の若いつぼみ部分を丸のまま、揚げた料理だ。自分たちはシチリアから来たのだと言う。数年前にシチリアパレルモやアグリジェントに行ったことがあると言うと、「アグリジェントはいい所だ。自分たちはその傍のコルレオーネだよ」と言う。思わず、あの映画ゴッドファーザー[2]の・・・と言いかけたが、飲み込んだ。そう言ってしまったら、何と答えてきたのだろう。

 

[1] Ristorante Di Rienzo

[2] コルネオーレ:中世以来の古い歴史を持つ都市であるが、20世紀初頭以降著名なマフィアを“輩出”した土地として知られる。小説・映画『ゴッドファーザー』では主人公一家がこの町に因む姓を名乗っている(ウィキペディア

街のひとつの歩き方(4)

石畳の道、トランクを転がして歩くのは少し注意が必要だ。30年位前、フィレンツエに着き、ホテルを紹介してもらおうと駅の案内窓口に並んでいると、一人の少年が近づいてきた。「ママがやっているホテルへ案内する」と誘ってくれた。窓口までは長い行列だったので、ついて行くと小さいがアットホームな感じのホテルに案内された。屋上のベランダに登ると煉瓦色の町並みが美しい。しかし、夜眠れなかった。下水の臭いが立ちこもってくる。翌朝、ミシュランのガイドブックで、別の安いホテルを見つけ、重いトランクを転がして移った。途中の石畳で見事にトランクの車輪が壊れ、蓋も開いてしまい、洗濯物がはみ出た。

 

パンテノンの傍の現在のホテル[1]は素晴らしい。フロントはとても親切だ[2]。パンテノンの前のロトンダ広場が眼下にある。窓をあけて昼寝をしていると、アコーディオン弾き、チェリスト、バイオリニスト、トランペット吹きとつぎつぎと大道芸人の音楽が聞こえてくる。アコーディオンリベルタンゴ、トランペットはゴッドファーザーなど、曲目は観光客向けだ。しかし、音楽に造詣のある友人夫妻と一緒に同じホテルに泊まった時、演奏のレベルはとても高いと評価していた。観光客もそれぞれの芸術家の腕の違いがわかるらしい。演奏家を取り囲む客数と拍手の度合いが違う。バイオリニストが最も上手らしい。アコーディオン弾きは金髪の美しい女性だ[3]。あまり拍手は多くない。それでも、私はその女性のCDを買った。美しいアコーディオン弾きは、思ったより、はにかんだような話し方をする人だった。

 

 

[1] Albergo del Senato

[2] 以前、妻がチェックアウトしようとすると,“Why? You can’t.”と怪訝そうな顔をする。帰らないでという冗談だったのだ。

[3] Gintarė Akstinavičiūtė. Accordion. Tango. Piazza Navona. Roma. Italia. https://www.youtube.com/watch?v=AizfERhouGc

街のひとつの歩き方(3)

ローマでのホテル[1]パンテオンの前のロトンダ広場に面している。料金によっては、 パンテオンの柱が眼と鼻の先にある部屋に泊まれる。以前は、ここより150m位離れた別のホテルに泊まることが多かった。こちらのホテルはガリレオが裁判を受けたミネルヴァ教会の傍にある。このホテルは5つ星[2]だが、トリップアドバイザーではフロントの評判が良くない。

 

ローマ・レオナルドダヴィンチ空港からローマ市街への夜の高速道路は何か違和感がある。日本の高速道路と違い真っ暗で、街灯のない田舎道のように、自動車のライトをたよりに走るからだ。街灯をつなぐ銅線がすぐ盗まれ、費用がかさみ、修理をしないという。タクシーは運転が荒い。以前、妻が思わずレデュースザスピード・・・と言うと、運転手が「料金をまけてくれ」と言われたと勘違いし、後ろを振り返り、もっと怖いことになったこともあった。そんなことがあり、空港に到着時の送迎車を、前もってホテルを通じて頼むようになった。あるとき、空港に着いて、POPO&JIJIのプラカードを持って待っているはずの人を探すが、見つからない。大部探した末、ホテルに電話した。埒があかない。結局タクシーに乗った。ホテルは車の予約は受けていたが、フロントの引き継ぎ時にTODO リストから抜け落ちてしまったと言い訳をした[3]。さらに、空港への朝早いタクシーをフロントに頼んでおいたが、忘れられ、飛行機に間に合うか気を揉んだこともあった。それで、数年前の朝、このホテルからトランク2個持って、石畳を150m離れた現在のホテルへ移動した。

 

 

[1] Albergo del Senato 3つ星

[2] 星の数には付帯する施設も影響するので,5つ星だからいいホテルとは限らない。

[3] そのため、今はインターネットで直接送迎の会社に連絡し、予約をとっている。

街のひとつの歩き方(2)

街を歩くときは、ほとんど何も持たない。これは香港でスリの一団を経験してからだ。中環という駅で、乗り換えのため、ガイドブックを広げ、地下鉄の案内板を見た。ホームに下るエスカレーターに乗った。一緒にいた家族はいつの間にか数段下に離れてしまった。黒い服を着た女性がなにやら妻に話しかけてきている。エスカレーターに乗ったとたん、他の黒い服を着た女性3人が私の前後と右側に立った。まわりを囲んだ。動けない。家族に追いつけない。降りようという時に前にいた女性が切符をホームレベルの足元に落とし、拾うためにかがみ込んだ。そのままでいれば、エスカレーターのベルトコンベア的機能上、私はその女性にのしかかり、転倒することになる。もうスリと直感していたので、前にしゃがみ込んだ女性をカンフー?のように、飛び越えた。飛び越えるときに、その女性の怒ったような眼が眼下に見えた。持っていた黒いショルダーバックが誰かに引っ張られ、私の引張り返す遠心力で宙を回った。 ジョン・ウー監督のスローモーションのような長い一瞬の時間だった。家族とホームの遠くへ逃げた。バックの蓋は開いていたが、ガイドブックが一冊無くなっただけで済んだ。今思うと誤って女性の頭を蹴っていれば、逆に加害者になるところだった。以来、ガイドブックの地図だけを破り取ってポケットに入れ、「この街には慣れているぞ」という顔をして歩く。最近は、写真機もiPhone 6を前ポケットに入れるだけだ。飲み水などはスーパーのレジ袋に入れて歩く。お金も数カ所のポケットに分けて入れる。以前、ローマの地下鉄、コロッセオ駅の暗いホームを歩いている時に、警察官に突然呼び止められた。イタリア語で何かを注意されているのだが分からない。傍にいる人が英語に訳してくれた。「財布をズボンの後ろポケットに入れてはだめだ」ということだった。